今はわざわいとなっていることでも、いつかは自分のためになることもあるというたとえ。辛抱することの大切さをいったことば。また、世の中には無用なものはないということのたとえ。
「2019年4月」の記事一覧
『禍も好まざれば禍を為すこと能わず』
自分からわざわいがふりかかるようなことをしなければ、天も一方的にわざわいを下すことはないということ。わざわいは自らが招いた結果だということ。
『禍は妄(みだ)りに至らず、福は徒(いたずら)に来らず』
わざわいも福も、それぞれ来るべき原因や理由があってやってくるものであるということ。禍福は人が自ら招くものであるということ。